2005年08月09日

奴奈川姫を探して。。bS(やっぱり姫も封印?)

さて、昨日から続き、いよいよ肝心の御神体ですが、

「奴奈川神社本殿」は、当然「奴奈川姫」です。
後に、八千矛命(大国主命)を合祀したとのこと。
(ご夫婦揃えてもらえたんですね。  

「天津神社本殿」は、天津彦々火瓊々杵尊 (あまつひこひこほににぎのみこと)、天児屋根命 (あめのこやねのみこと)、太玉命 (ふとだまのみこと)の3神を祀っています。

この3神は、天照の孫にあたる神を中心に、高天原系のエリート集団です(笑)

この2つの社殿が、石造りの囲いの中に建立されているわけです。



(結論)
封印とまではいかなくとも、見張り役的な位置関係にあるように見えました。

この本殿は、実は、数百年も昔に移設され、ここに来たものだそうで、何らかのいわれがあっての移設だったのでしょうが、そのあたりは不明ということだそうです。

また、糸魚川周辺の町村にも、「奴奈川神社」は、いくつか点在していますが、これらが、単独で建っているのかどうかまでは調べていません。

いずれにせよ、出雲大社や諏訪大社と比べ、監視も緩い扱いであったのかな?と思われました。


神話の世界を出て、事実を考察してみると、

縄文前期から、この地に人が住み、ヒスイを持って、全国と交易していたことは事実です。

当時のヒスイは、呪術的にも貴重なものですから、この地が相当栄えていたことは、想像できます。

ヒスイの加工技術も、ずいぶんと進んでいたようです。

出雲からも、この地と親交を深めるべく婚姻関係を結びに来たとしても不思議はないと思います。

青森三内丸山遺跡の巨木遺跡と、出雲大社の巨木による高層建築諏訪の御柱に共通点を感じるのは、私だけではないと思います。

どれも、日本に古代から住んでいた土着民族の文化であったと想像します。



時代が下って、大和朝廷の創生期に、朝鮮渡来民族と土着民族との争い(国譲り)の中、このヒスイの産地の争奪戦もあったことでしょう。

敗退した、土着民族の祟りを恐れたか、あるいは、土着の神も祀ることで融合を図ろうとしたのかはわかりませんが、
各地に大社を作りつつ北上して行ったのではないでしょうか?


あくまでも、想像の世界でしかありませんが、このように考えると、神話も現実味を帯びて見えてきます。

真夏の暑い夜、ビール片手に、太古に思いを巡らすのも一興かと思います。

明日は、見所紹介です。


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posted by 招き猫 at 23:36| 新潟 晴れ| Comment(0) | TrackBack(0) | あやしいもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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